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新潟地方裁判所 昭和27年(行)9号 判決 1953年11月30日

主文

被告が昭和二十七年四月一日附買収令書を以て新潟県南魚沼郡湯沢村大字熊野二千四百十一番の三、田一反七畝二十三歩につきなした買収処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は主文第一、二項と同旨の判決を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

一、原告は主文第一項記載の本件土地を所有していたところ、新潟県南魚沼郡湯沢村農業委員会に於て、昭和二十七年一月十二日右土地につき旧自作農創設特別措置法(昭和二十一年法律第四十三号)(以下「自創法」と略称する)第三条第一項第一号に従い買収計画を定め、被告は右買収計画に基き同年四月一日附買収令書を同月十七日原告に交付して買収処分をなした。

二、ところが、

(イ)  原告は湯沢村において生育を遂げ、昭和六年頃東京帝国大学法学部を卒業して大学院に残り、爾後東京府に居住し昭和十八年頃予防拘禁所に勤務したが、昭和十九年十二月三日父正明の死亡により家督相続をなし本件土地を含むその他の農地の所有権を承継取得した、そしてこれらの土地については母セキ及び父母の養子で原告の妹に当るシンが農耕に従事していたのであるが、原告は昭和二十二年七月妻子と共に本件土地の所在する湯沢村に帰住してセキ及びシンと同居し、その後昭和二十三年四月最高裁判所事務総局に勤務するため再び妻子を伴つて東京都に移り湯沢村の区域内に住所を有しなくなつたけれども、セキ及びシンが引続き同村内にある原告所有の農地につき農耕の業務を営んでいた。

(ロ)  そして原告は右湯沢村に祖先伝来の家屋敷や墓地を所有する外山林数町歩、宅地十数筆及び農地約六反歩(本件土地を含む)等主たる財産を湯沢村或はその近接村内に所有し親族の大多数も同村に居住している。そして父の死後も引続き同村の農業協同組合、山林組合等の組合員となつている。又原告はシン及びその夫林定治との間に右両名が昭和三十三年にはセキと別居して独立の生計を営むことを約しており、或はそれ以前にもその実現を見るに至るかも知れない事情にあるのみならず、母セキは、昭和三十四年に満八十才に達するのでその頃になると最早や家計を処理することが健康上許されなくなる。他方原告の長男正和は昭和三十二年に東京都所在の大学を卒業するのでその一、二年後には妻を迎へ自立出来る見込である。以上のような事情からして、原告は湯沢村において自ら家政を処理するため昭和三十四年頃には転職して湯沢村に帰住する予定である。

(ハ)  ところが湯沢村農業委員会は、昭和二十六年七月四日自創法第四条第三項に従い原告を在村地主と認める旨決議したが被告より再議を命ぜられたので、審議の結果同年十一月二十六日原告を同条項にいわゆる「当該農地のある市町村の区域内に住所を有するに至る見込がある」場合にあたらないものとしさきの認定を取消して原告を不在地主と認める旨決議し右決議に基き本件買収計画を定めるに至つたのである。

(ニ)  けれども同条項に定むる「当該農地のある市町村の区域内に住所を有する見込がある」場合と云うのは、農地の所有者がその農地のある市町村の区域区に住所を有するに至ることが諸般の状況により或る程度の確実性を以て予想し得る場合を指すのであつて、原告はまさに同条項を適用して在村地主とみなされるべきものである。

三、右主張が理由ないとしても、次の各理由により本件土地は小作地ではなかつた。

(イ)  本件土地は原告がもと訴外高橋吉松に賃貸していたが、昭和二十一年十二月中同人から返還をうけ爾来自作していたもので、原告の分家にあたる訴外高橋恒太郎は原告のためその耕作について労力を提供していた。

ところが右恒太郎は、その後本件土地について原告との間に賃貸借契約を結びたい希望を持ち湯沢村農地委員会にその斡旋を求めたため原告は昭和二十六年一月頃同委員会より自創法第四条第三項の改正によつて原告はいわゆる在村地主とみなされることとなつたから右恒太郎の申出に従い同人との間に賃貸借契約を結んでも本件土地が不在地主の所有する小作地として買収されるようなことはない旨を申聞かされ契約の締結を勧告された。

そこで原告は、右二の(イ)(ロ)に掲げたような事情にあつて自創法第四条第三項の改正によりいわゆる在村地主として同項の適用を受けるに至つたものと信じていたので、同委員会の勧告に従い原告がいわゆる在村地主であることを前提として昭和二十六年一月頃本件土地につき右恒太郎との間に賃料を一箇年金三百十五円、期間を昭和二十五年一月一日より昭和二十九年十二月三十一日までと定めて賃貸借契約を締結した。

即ち右契約は原告が右条項の適用を受けるいわゆる在村地主であることを前提としてのみ成立したものであつて、もし右条項の適用を受けず不在地主と認定せられるのであつたならば、不在地主の小作地として当然買収されるような結果を招く賃貸借契約を結ぶことはもとより之をしなかつたのである。

従つて右契約当時原告が改正に係る自創法第四条第三項の適用を受けずいわゆる在村地主でなかつたとすれば、原告が在村地主であると信じこれを前提としてなした右賃貸借契約は意思表示の要素に錯誤があつたものと云うべきであつて、右契約は無効である。

(ロ)  仮に右主張が理由ないとしても、本件土地は農地調整法施行令第二条第二項の農地に該当するのであるから、前記賃貸借契約を結ぶためには、当事者の一方又は双方から同法第四条、同法施行令第二条第二項、同法施行規則第八条、第六条に従い先づ湯沢村農地委員会に所定の申請書を提出してその承認を受くべきであるに拘らずその手続が履行されていない。

そして右手続はその性質上要式行為と解すべきであるから、これに反してなされた右賃貸借契約は同法第四条第五項により無効である。

(ハ)  又仮に右申請手続が要式行為でないとしても、右賃貸借契約の締結については農地調整法第四条、同法施行令第二条第二項による前記委員会の承認がなされていない。

即ち、農地委員会に於いて賃貸借契約の締結について承認を与えるには会議を開いてその旨の議決を経なければならないのであるが其の議決がなされていない。

従つて右賃貸借契約は有効な承認を欠き同法第四条第五項により無効である。

四、以上の理由により本件買収計画は違法であり、同計画に基いて被告のなした買収処分も違法であるから、右買収処分の取消を求めるものである。

なお被告の主張事実中原告の父母が昭和十四年十一月二日恒太郎の実妹高橋シンと養子縁組をなし、シンが昭和二十三年四月十五日林定治と婚姻して原告の母セキと同居していたこと、原告が多年法律事務に携つて来たこと、原告と恒太郎との間に於て前記賃貸借の契約を締結するにあたりその契約書を作成したことは認めるが、その他は否認する。

と述べた。

(立証省略)

被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、

原告の主張事実中一、は認める二、の(イ)のうち、原告が昭和二十二年七月妻子と共に湯沢村に住所を移したとの点を否認し、その他の部分は認める。二、の(ロ)のうち、原告が湯沢村で祖先伝来の家屋敷や墓地を所有する外その主張するような主たる財産を同村或はその近接村内に所持し親族の大多数も同村内に居住していることを認め、その他の部分及び二、の(ニ)は否認する。二の(ハ)は認める。三、の(イ)のうち、原告がもと本件土地を高橋吉松に賃貸していたが、昭和二十一年十二月中同人からその返還をうけたこと及び原告主張の頃湯沢村農地委員会の斡旋によりその主張のような内容の賃貸借契約が原告と恒太郎との間に成立したことを認め、その他は否認する。三、の(ロ)のうち、本件土地が農地調整法施行令第二条第二項所定の農地に該当すること及び原告主張のような申請書が提出されていないことは認めるが、その他の部分及び三、の(ハ)並びに四、は否認する。

二、自創法第四条第三項所定の「正当の事由」ある場合と云うのは職務上の都合などにより一時農地のある市町村内に住所を有しなくなつた場合を指すのであつて原告は昭和初年以来引続き東京都に生活の本拠を有し、同条項が改正された昭和二十四年六月当時においても、東京都内でいわゆる根を下した生活をしていたもので一時不在となつたものではないから、原告が本件土地のある湯沢村の区域内に住所を有しなくなつたことは、同条項にいわゆる正当の事由によるものではない。又同項に「当該農地の所有者が当該農地のある市町村の区域内に住所を有するに至る見込がある」と云うのは、二三年位の短期間内に再び住所を有するに至ることが予想されるような場合を指すのであつて、原告の父母は昭和十四年十一月二日恒太郎の実妹シンと養子縁組をなし、シンは昭和二十三年四月十五日林定治と婚姻して原告の母セキと同居し原告家の祭祀を主宰する後継者となるべき地位にあつたこと、原告は東京都内に家屋を所有してこれに居住し、相当な官職についてその勤務地は固定し、その職業上の地位は極めて安定していたこと及び同人の年令等の点を考え合わせると、本件買収計画の樹立当時原告は本件農地のある湯沢村の区域内に住所を有するに至る見込があるものとは云へなかつたのである。

三、又原告が恒太郎との間に前記賃貸借の契約を締結するについてその主張の点につき錯誤があつたとしても、それは契約締結の動機に属することであつて法律行為の要素に錯誤があつたものとは云えない。仮にそうでないとしても、原告の如き多年法律事務に携つて来た者が法律の解釈を誤り自創法第四条第三項の適用があるものと信じたことについては重大な過失があつたものと云うべきである。

四、又本件土地は原告が昭和二十一年十二月中高橋吉松からその返還を受けた上湯沢村農地委員会の承認を得ないで恒太郎に賃貸したのであるが、昭和二十六年一月頃再び恒太郎との間に前記のような賃貸借契約を結び契約書を作成したのであつて、湯沢村農地委員会は昭和二十五年十二月十四日の会議に於てなされた議決に基き昭和二十五年一月十四日に遡つて前記賃貸借契約を承認したのである。従つて右契約は、同法第四条に従い有効に成立したものであつて、本件買収計画の定められた当時本件土地は小作地であつた。

と述べた。

(立証省略)

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